一級河川 淀川
淀川の支流、分流
かつて大阪を流れていた淀川本流は、1907年(明治40年)淀川放水路が開削されたため、それぞれ支流、分流となって、現在は旧淀川の名前で呼ばれています。
旭区、城東区を流れる城北川(城北運河)も支流の中の1つ。
分流である大川は、大阪市のビジネス街を流れ、中洲を挟んで堂島川と土佐堀川に分かれます。
下の図、右側から左側へ流れています。
画像引用ウィキべディア
今回は大川に架かる橋の中から、難波橋(なにわ橋)を紹介します。
右から3つめ、堺筋を横断している橋です。
難波橋(ライオン橋)naniwa bridge
難波橋は、大阪市北区にあります。
浪華の三大大橋、その1つがこの橋です。
橋の歴史
かつて、木橋だったこの橋は、明治9年に鉄橋になったのですが、途中に中之島公園を挟んで2つの橋になったような形をしています。
昔の大川は、現在よりもずっと広くて、橋からは周囲の橋や生駒山までを見通せる存在だったのです。
橋の周辺には茶店がたくさんあり、夏には夕涼みをする人などで賑わっていました。
こちら ↓ で紹介している観光スポット『適塾』を開いた緒方洪庵たちも、この橋から近いのでやってきていたようです。

橋のモデルとなったのは、パリ、セーヌ川に架かるボンヌフ橋。そう聞けば、渡るときの気分はすっかりパリジェンヌww
鉄橋の部分が違うので横からの姿は異なりますが、タイトル画像のライトの感じと橋桁の装飾がよく似ていますよ。
ライオン像の謎
南北の橋のたもとには4カ所、4頭のライオン像があって、”ライオン橋”とも呼ばれます。
ライオン像と言えば、三越
以前は北浜に三越があったことから、三越の関係でライオン像なのかと思っていました。
このライオン像は
- 左側が口を開く阿形像
- 右側が口を閉じる吽形像
となっており、狛犬の形式をとっています。
なぜライオン像なのかについての説は、いくつかあるようですが、はっきりとしたものはなさそうです。狛犬なのですから、神社・寺院の関係は間違いなさそうだと思うのですが、そう考えれば後ろにある橋を守っているということでしょうかね。
当時の大阪市長が、天岡圴一さんに依頼して作ったものです。
難波橋へのアクセス
場所は、大阪メトロ堺筋線の北浜または、京阪中之島線のなにわ橋が最寄りの駅です。
北浜からは、川の方向に向かえばその橋が、難波橋。
なにわ橋の駅からは、地上に出たところに橋があります。
最寄駅 | 大阪メトロ堺筋線 | 北浜駅 |
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京阪中之島線 | なにわ橋駅 | |
駐車場 | なし |
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