川口居留地
正式には
日本聖公会川口基督教会
この教会を語る前に、川口居留地について説明しましょう。
川口居留地
- なんとなく聞いたことがある
- 昔、外国人の居住地となっていたところ
ほとんどは、そんなイメージですね。
川口居留地の場所
外国人が住んでいたということで、
一般的には、外国船が入港する大きな港の近くにある
と考えますが、川口居留地は今も昔も、海の近くではないのです。
これが、大阪市西区にある川口居留地の地図です。
よーく見ると、2つの川、安治川と木津川に挟まれた地帯にありますね。
これを下部にある当時の地図と合わせてご覧ください。
川口居留地の歴史
大阪は、世界に向けて門戸を開きます。
安政5(1858)年
米・英・仏・蘭・露5カ国との修好通商条約で、大坂(大阪)は外国と商取引ができる市場として開放が決定しました。
翌年7月15日
通関手続きなどの貿易業務は神戸で行われていましたが、諸外国の要求で、大阪も開港しました。
初回分譲には、外国人商人が殺到して
- 英国人13区
- 米国人
- ドイツ人各4区
- フランス人
- オランダ人各2区
- ベルギー人1区
で完売したそうです。
こういうふうに聞くと、長崎の出島が浮かびませんか。
出島は、場所こそ違うものの、当時の生活が再現されて観光地になっています。
でも、川口居留地には、復元された川口基督教会があるのみなのです。
川口居留地という世界
当時の生活、できればタイムマシンにでも乗って、覗き見したい気持ちになってしまいます。
なぜなら、川口居留地というところは
歩道と馬車道には、ユーカリやゴムの木が植えられていて、夜になると、ガス灯に明かりがつく。
南国風のベランダやバンガローのある住宅、英国風コテージ様式、スペイン風コロニアル様式など石や煉瓦の建物が並んでいたそうです。
画像引用元:川口居留地研究会
やがて、貿易の中心は神戸に移り、居留地はミッション系の学校がたくさん設立された女子教育とキリスト教の伝道拠点となりました。
次には中国人街と変わったのですが、今ではその姿さえも見ることができません。
川口基督教会 kawaguchi-christ-church
川口居留地にシンボルとして存在しているのが、川口基督教会です。
今では、この教会の建物と近くにある記念碑だけが、川口居留地の面影を残しています。
登録有形文化財
川口基督教会は、登録有形文化財です。
登録有形文化財とは、ウィキペディアによると
文化財保護法改正により創設された文化財登録制度に基づき、文化財登録原簿に登録された有形文化財のことである。
復元された建物
しかし、この教会も当時の姿というわけではありません。
阪神・淡路大震災で被害を受けたため、取り壊しの危機がありました。
現在の建物は、1998年に復元されたものです。
内部の撮影はできませんが、外からも美しいステンドグラスが見えています。
この教会の特長としては、基督教会という名前ではあるものの
基督教会とカトリック教会の間にあるような存在
と言われています。
クリスマス行事には、たくさんの人が訪れるようですので、そういう機会には教会を見学、そして居留地の雰囲気を感じることができるかもしれません。
川口基督教会へのアクセス
場所は、大阪メトロ中央線または千日前線の阿波座が最寄りの駅です。
赤レンガの建物は、川の対岸からでも確認できます。
最寄駅 | 大阪メトロ千日前線 | 阿波座駅 |
---|---|---|
大阪メトロ中央線 | 阿波座駅 | |
見学 | 行事以外に見学の設定は、ありません | |
駐車場 | なし | |
WEB サイト | https://osaka-chuokokaido.jp | |
https://takakoym4112289.wixsite.com/kawaguchi/home | 川口居留地研究会 |
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